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2014年4月20日日曜日

日本語論・・その二: 「振り仮名」一掃の愚

久し振りに日本語について考える気になったので、この際、数十年前から不思議に思ってきたことを書いておきたい。それは "振り仮名" のことである。
一体、何時頃から出版物から "振り仮名" が無くなったのだろう。
時々、"ルビ" などと言う訳のわからない業界用語を見かけることはあっても、小学校時代から親しんできた "振り仮名" とか、"かなを振る"という表現を、最近の新聞や書籍で見たことが無い。

国語審議会と称する日本語の何たるかを知らない"無知な有識者?" の集まりで決めたのか、報道出版業界のプレスコードと称する売国洗脳ルールの為せる仕業か知らないが、日本語の最も優れた機能を封殺し、徒らに習得困難なものに仕立て上げている元凶であることは、私自身の幼児体験からも断言できる。

私に限らず私以前の世代の子供たちは、小学校低学年の頃から、講談本、世界名作物語、剣豪小説シリーズなど学校で習わない漢字満載の部厚い本に親しんできたものだ。なぜそんなことが出来たかというと、出てくる全ての漢字に仮名が振ってあったからだ。
高学年になる頃には、いつの間にか大人が読むくらいの漢字の読み方はもとより、意味も殆んど判っていた。学校の国語の授業が役に立ったとすれば、精々書き取り位のものだったと言っても良いくらいだ。

ところが、最近は、どうにも読めるはずのない人名や地名ですら、頑なにまで読み仮名が振ってないので、フラストレーションが募る一方である。読み方の判らない文字が出てきた途端に、続きを読む気が失せてしまう。もし、読み仮名が付いていれば、意味不明でもリズムが滞ること無く先に進めるので苛々することも無い。意味などそのうちに前後関係から自然に判ってくるものだ。

最近、新聞か何かに欧米と日本の子供達の読書力を比較した記事が載っていたが、さもありなんと合点が行った次第である。
低学年のうちは圧倒的に日本の子供達の方が勝っているのに、高学年になるにしたがって、欧米の子供達に逆転されると言うのだ。
筆者は、原因不明だと不思議がっていたが、こんな自明のことを不思議がると言うこと自体、理解に苦しむ。

50音の仮名を覚えれば何でも読める日本語と、アルファベット26文字を覚えても何も読めず、綴りを習った単語しか読めない欧米語のどちらが幼児にとって、読書向きかは議論の余地が無い。(鈴木孝雄氏の『閉ざされた言語・日本語の世界』でも指摘されている。)
しかし、高学年になって抽象概念や専門用語が混じってくると、読み方のわからない漢字より、意味不明で発音も出鱈目でも、ともかく音の見当がつく欧米語のほうが読む苦痛が少ないことは、明らかである。
要するに日本語だろうが欧米語だろうが、言葉である以上、発音できなければ、文字通り話にならないのだ。

しかし、私達以前の世代では、高学年になって読む本はもとより、成人向けの大衆小説や新聞雑誌でも大抵の漢字には振り仮名が付いていたので何でも読めたし、アルファベットと違って意味も大体見当がついたので、平均的日本人の読解力は世界の中でも隔絶していた。

先に紹介した鈴木孝雄氏の 『閉ざされた言語・日本語の世界』 は、最も優れた日本語論だと思うが、その中にすら振り仮名が日本語の死命を制する不可欠の発明であったことに触れていない。

このことを国語審議会に諮っても埒が明かないだろうから、電子書籍業界で先に採用することを提案したい。そうすれば、紙媒体も否応なしに追随せざるを得なくなるだろう。

事業化の関心のある方は、私個人宛にFBメッセージかメールを下されば、幾つかのソフト特許になる(かも知れない?)アイデアを提供したいと思います。

2 件のコメント:

  1. 『閉ざされた言語・日本語の世界』 1975 新潮選書
    著者:鈴木孝雄
    慶大言語文化研究所教授(当時)
    慶大医学部から文学部に移り、英文科を卒業。
    言語現象を厳密な自然科学的研究対象としてみなすだけではなく、言語を人間の生き方や思想、文化と密着したものとして扱う氏の言語学は、近年各分野から注目されている。

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  2. 日本語論・・その三: 「日本人は何か考えているのか?」と「日本人は何を考えているのか」の違い!
    http://byoshonikki.blogspot.jp/2014/05/blog-post.html

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