ページ

ページビューの合計

2013年11月5日火曜日

昭和天皇が靖国神社の親拝をやめた理由

敗戦国の総責任者として、止むを得ず当然のことをしただけで、東条元首相以下に対して不快感を持っていたからだなどというのは、何も知らない間抜けな人々の誤解か、知っていながら知らない振りをしている人たちの曲解です。 そもそも昭和天皇は、日本民族の存続のために、"耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ" 決意を生涯貫いた人ですから、その辺の評論家のように一々自己弁護などしなかっただけです。

私が現役時代のWEB講義碌に、
昭和天皇(裕仁)の誕生日は4月29日、今上天皇(明仁)の誕生日は12月23日である。
( 東京裁判によって日本人の自尊心を徹底的に粉砕しようと目論んだ米国にとって、上記は決定的な意味を持つ情報=インテリジェンスであった。米国は、この インテリジェンス に基づき、いわゆるA級戦犯28人を4月29日に起訴し、東条英機以下7名を12月23日に処刑した!)

と書いた所以である。

そもそも、A級と言う訳語からして誤解惹起的で正しくはA類と訳すべきです。 A、B、C というのは、戦勝国が勝手に定義した容疑の分類であって、等級(グレード)ではありません。 特に、A類(class-A war criminal )というのは、国際法にも無く、ニュルンベルクの対独軍事法廷でナチス(国家社会主義ドイツ労働者党:Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)幹部を死刑にするために無理やり作られた概念です。 もし、日本が勝っていたら、ルーズベルトやチャーチル、スターリン、蒋介石をA級戦犯として、ドイツ戦犯の仇をとる、というギャング顔負けの殺し合いになっていたかも知れません。 そのくらい次元の低い、しかし、狡猾極まりない弱肉強食の論理です。

0 件のコメント:

コメントを投稿