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2012年11月24日土曜日

医療統計は個々の患者にとっては無意味!

今日の日経寸評欄に米国の生物学者スティーブン・J・グールドが不治の病を宣告された時、いろいろ文献に当ってあれこれ考えた上で最後に到達した結論について書いている。 詳しいことは直接紙面を読んでいただくことにして、ここでは余命に関して彼の残したという言葉を再掲しておく。
・・・抽象的な値にすぎない中央値は個々の事例とは無関係だ・・・

統計数値が大数の法則を前提(もともと法則というより単なる前提に過ぎないが)とする以上、そんなことは当たり前だと言うことは誰でもわかっていそうなものだが、殆んどの人々が誤解しているのが実態である。

大数の法則に基づくということは、全体の傾向を示すだけで個々の構成要素の傾向は何も語っていないということは統計学のイロハである。 たとえば、100人の病人にある薬が50%の有効性を示したと言う場合、多くの人は100人の全ての人に50%の効果があるに違いないと誤解する。
事実はそうではない。 50人には多少効いたが残りの50人には全く効かなかったというのが正しい解釈である。

したがって、医師や行政など大勢の病人を扱う人にとって統計数値は極めて有効かつ重要であるが、一人一人の病人自身にとっては何の意味も持たないどころか、無用な不安や期待をもたせると言う意味では有害でさえある。 役人同士、医師同士あるいは学者同士でしか通用しない概念で徒らに悩める病人を更に惑わせるようなことは止めた方が良い。

しかし、殆んどの専門家はそのことを知らないか忘れている。 グールドでさえ、わが身につまされなかったら意識せずにこの世を去っていたに違いない。

斯くいう私自身、学生時代から分かっていたつもりだったが、骨身に染みて分かったのは 2000年に、人間ドックに入ったとき、妻が勝手に指定した PSA検査で前立腺癌が検出され、手術すべきかどうか、迷いに迷い、インターネットで米国の論文を読み漁り(日本の病院や大学のサイトには何も載っていなかった!)、結局、何の参考にもならないという結論に達した時である。

要するに、集団の傾向に関する統計値は、個人の運命とは無関係だと言う厳然たる事実に皆目を瞑っているのだ。
このことは、私のもう一つのブログ 「50年前の今日・・駒場・本郷の一期一会」 の 1961.5.16(火) 駒場の一日・・・統計学やら女性への関心やら の(注)にも書いてあるので関心のある方はどうぞ。

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