より正確には
大動脈置換手術⇒人工心肺下の低温持続
⇒虚血状態持続⇒多臓器障害
⇒脳梗塞⇒短期記憶喪失
というべきだろう。
これが救命のためならなにをしても良いという現代医療の限界なのだから、その過程で何が起ころうと(植物人間になったとしても手術同意書さえ確保しておけば)医師に責任があるわけではない。
それはさておき、ここでは短期記憶喪失の体験談を紹介する。
昨日、妻が部屋の整理をしていて私宛のA4封筒を持ってきた。
見ると一昨年11月23日の消印が押してある。救急車で運ばれたのが11月19日だからその4日後と言うことになる。妻は12月に入って私の意識がある程度もどった頃、病院に持ってきて見せたと言うが、まったく記憶が無い。全員の集合写真を始め、テーブルごとの楽しそうにしている面々の中には、担任だった清水次夫先生や蓮見君、金子さん、中山さん等の顔が識別出来たが 、あとはどれが誰やらさっぱりわからない。
それもそうだ。もう20年以上会ってないからなぁ・・・
ところが、なんと集合写真の中に、自分にそっくりな奴が混じっているではないか。
はじめは、欠席した私が可哀想だというので幹事の宮本晴代さんが気を利かせて合成写真を送ってくれたのかと思ったが、次の瞬間・・・もしや心霊写真と言うのは本当にあるのかもしれない・・・と思ってぞっとした。
というのは、それほどそこに写っている自分の顔が異様だったからだ。生気がないというか、存在感が無いと言うか、とにかく他の友人たちと同席していると言う気配がまったく感じられない写真だった。
一昨年の大晦日に看護師を蹴飛ばす騒ぎを起こしたくらいだから、昨年の年賀状で誰が何と言ってきたかもよく見ていなかったし、勿論こちらからは何も連絡せず、先方から電話をしてきた勤務先やごく親しいゼミ仲間以外とは音信不通状態だったので、同窓会に出席したことも、いや同窓会があったことすら覚えていない。
しかし、そういえば思い当たることがある。
私の今年の年賀状で事態を知られた恩師の清水先生からいただいた返信に 「 同窓会のとき、ちょっとおかしいな(健康面)と思ったのですが・・・」 とあったので、 「 はて、いったい何のことだろう。先生は何か勘違いされているのかな・・・」 と自分のことは棚に上げて訝った覚えがある。
どうも実際に出席した同窓会の記憶がスッポリ抜けてしまったらしい。
9月には重慶工商大学から私の研究室に来ていた呉詩賢講師が帰国したことを覚えているが、9月末からスタートしたはずの後期の授業の記憶が殆ど無い。
ということは、9月末から11月末まで約2か月分の記憶がきれいに消えて無くなったことになる。
これは、えらいことだったなぁ・・・
改めて、年賀状でのお詫びの言葉を繰り返させていただきます。
『音信不通のため多大なご迷惑をおかけしました・・・』
2010年3月4日木曜日
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