21日(火)の日記に、私の娘が正岡子規の妹の律さんに共感しているらしいと書いたが、ついでに娘のBLOG を覗いてみた。 その中に 2010.10.3 付けの日記で "漁師町の、かくれたスタインウェイ" というタイトルの記事があり、内容も悪くはないのだが、前からそのタイトルが気に入っていた。 それもただ気に入っていただけではなく、ずっと前からどこかで聞いたことがあるような気がして仕方なかった。 ここのところ益々激しくなった既視感のせいかと思っても見たが、どうも何か引っかかる。
いつもこういうときは、ベッドの中でうつらうつらしているうちに、突然、はっと気がつくのだが、今回もやはりそうだった。 第2次大戦中の欧州戦線で、敵味方を問わず大ヒットした愛唱歌、と言えば言わずと知れた例の "リリー・マルレーン(Lili Marleen)" 、その公式サイト(ドイツ語) の解説で読んだことがある・・・
「リリー・マルレーン」は、第一次大戦に従軍した詩人ハンス・ライプが東部戦線に出征する直前に書いた詩集 「港の小さなオルゴール」 の中の一編・・・
この 「港の小さなオルゴール」 というタイトルの持つ哀歓と 「漁師町の、かくれたスタインウェイ」 という言葉の響きが共通する感興を呼び起こしたに違いない。 もちろん、娘は、"リリーマルレーン" も知らなければ、まして 「港の小さなオルゴール」 などという詩集のタイトルなど知る由もない。
2010年12月27日月曜日
2010年12月21日火曜日
子規と漱石≒子規と律?
チョコだらけ・・・
ピアノと英語を教えている娘が、投げてよこした上の句だが、後が旨くつながらない。 娘は目下、正岡子規の漱石に対する忌憚のないこき下ろしの句評(「病床六尺」に書いてある?)を面白がっており、多分それに刺激されて、冒頭の上句を思いついたらしい。(実際は、『妹の律に筆舌に尽くしがたい世話になりながら、悪口ばかり書き残して逝った正岡子規の口振りが、妻子に同じような苦労をさせながら文句ばかり言っている私とそっくりだ』 という議論を交わしたのがつい先日のことだから、ようやく天邪鬼の扱い方に慣れてきたのかも知れないが!)
それはともかく、いろいろ下の句を付けて答えてもけんもほろろにこき下ろされるので、なかなか手ごたえがあって気晴らしになった。 と言ってもまだ依然として駄目なものは駄目というレベルを脱したわけではないが、一応休戦状態にある。
例えば、
チョコだらけ・・・一つ食う毎 頭痛減り 酷評(こじつけ?)
(ここの所、娘が偏頭痛を訴えていたので)
チョコだらけ・・・いつの間にやら 空になり 酷評 (子供っぽい?)
(娘が、つい食べ過ぎちゃうとこぼしていたので)
チョコだらけ・・・食べた数より 残り減り 酷評 (品がない?)
(妻が、よく食べるので)
チョコだらけ・・・またまたお歳暮チョコばかり 無言(くどい?)
("だらけ" と "またまた" が呼応している・・・自画自賛)
ここのところ、娘は律に大いに共感を覚え、励まされているらしい。 と同時に、あれ程の親友である漱石の句に対する酷評を読んで、律に対する悪口もその類だと、ある程度、納得したのかもしれない・・・と思うのは私の独りよがりか・・・。
余談だが、巷間では、律を世に出したのは「仰臥漫録」という闘病日記であり、そこには、子規の妹に対する深情が吐露されていると言われている。 私もそのことに異論はない。 しかし、この2年間妻子の看病を受けながら、つくづく思ったのは次のようなことである。
「果たして律さんは世に名前が出ることを望んでいただろうか。 恐らくそうではあるまい。 ただ兄の喜ぶ顔を見たかっただけだったに違いない。 その意味では、子規は死後も律の気持ちを裏切ったということになる。 しかし、死後も人々の記憶に残ること・・・それが悪名であったとしても・・・を人生最大の念願とする多くの男子にとって、自分の一生をかけて尽くしてくれた恩人の名を後世に伝えたいと思うのもまた無理からぬことである。 その結果、律本人の意思の如何にかかわらず、後世、多くの人が励まされるとすれば、子規のやったこと・・・律にとっては傍迷惑で余計なことだったかも知れないが・・・も無駄ではなかったし、律を冒涜するものでもなかったことになる。」
これは、私自身家族や看護師、介護士の世話になるうちに、はたと気がついた事実である。 今後、高齢化社会の中で、これらを生業とする人々が決して忘れてはならないことであろう。
『世の中には名利よりも人助けを生き甲斐とするひとびとがいる。』
男でありながら、そうであるとすれば、聖人というべきであろうし、近世のわが国の歴史にその例を尋ねれば、山岡鉄舟に止めを刺す。
ピアノと英語を教えている娘が、投げてよこした上の句だが、後が旨くつながらない。 娘は目下、正岡子規の漱石に対する忌憚のないこき下ろしの句評(「病床六尺」に書いてある?)を面白がっており、多分それに刺激されて、冒頭の上句を思いついたらしい。(実際は、『妹の律に筆舌に尽くしがたい世話になりながら、悪口ばかり書き残して逝った正岡子規の口振りが、妻子に同じような苦労をさせながら文句ばかり言っている私とそっくりだ』 という議論を交わしたのがつい先日のことだから、ようやく天邪鬼の扱い方に慣れてきたのかも知れないが!)
それはともかく、いろいろ下の句を付けて答えてもけんもほろろにこき下ろされるので、なかなか手ごたえがあって気晴らしになった。 と言ってもまだ依然として駄目なものは駄目というレベルを脱したわけではないが、一応休戦状態にある。
例えば、
チョコだらけ・・・一つ食う毎 頭痛減り 酷評(こじつけ?)
(ここの所、娘が偏頭痛を訴えていたので)
チョコだらけ・・・いつの間にやら 空になり 酷評 (子供っぽい?)
(娘が、つい食べ過ぎちゃうとこぼしていたので)
チョコだらけ・・・食べた数より 残り減り 酷評 (品がない?)
(妻が、よく食べるので)
チョコだらけ・・・またまたお歳暮チョコばかり 無言(くどい?)
("だらけ" と "またまた" が呼応している・・・自画自賛)
ここのところ、娘は律に大いに共感を覚え、励まされているらしい。 と同時に、あれ程の親友である漱石の句に対する酷評を読んで、律に対する悪口もその類だと、ある程度、納得したのかもしれない・・・と思うのは私の独りよがりか・・・。
余談だが、巷間では、律を世に出したのは「仰臥漫録」という闘病日記であり、そこには、子規の妹に対する深情が吐露されていると言われている。 私もそのことに異論はない。 しかし、この2年間妻子の看病を受けながら、つくづく思ったのは次のようなことである。
「果たして律さんは世に名前が出ることを望んでいただろうか。 恐らくそうではあるまい。 ただ兄の喜ぶ顔を見たかっただけだったに違いない。 その意味では、子規は死後も律の気持ちを裏切ったということになる。 しかし、死後も人々の記憶に残ること・・・それが悪名であったとしても・・・を人生最大の念願とする多くの男子にとって、自分の一生をかけて尽くしてくれた恩人の名を後世に伝えたいと思うのもまた無理からぬことである。 その結果、律本人の意思の如何にかかわらず、後世、多くの人が励まされるとすれば、子規のやったこと・・・律にとっては傍迷惑で余計なことだったかも知れないが・・・も無駄ではなかったし、律を冒涜するものでもなかったことになる。」
これは、私自身家族や看護師、介護士の世話になるうちに、はたと気がついた事実である。 今後、高齢化社会の中で、これらを生業とする人々が決して忘れてはならないことであろう。
『世の中には名利よりも人助けを生き甲斐とするひとびとがいる。』
男でありながら、そうであるとすれば、聖人というべきであろうし、近世のわが国の歴史にその例を尋ねれば、山岡鉄舟に止めを刺す。
2010年12月11日土曜日
散歩で気晴らしの筈が・・・「燕雀安知鴻鵠之志哉」
体調の如何にかかわらず散歩に出かけることにしてから、かれこれ半月くらいになるが、流石にきつい。1キロほど先のコーヒーショップを目指して行くのだが、店につく頃には疲労困憊し、動悸は亢進するは、足は棒のようになるはで、居ても立っていられない気分になる。 店に入っても暫くの間は、コーヒーにも口をつけず目を瞑って気分の回復を待つようなありさまで、ここのところ数日、家まで辿り着けるだろうかとはらはらすることが多い。もちろん、基本的には、体調自体の良し悪しに左右されるのだが、途中での出来事によって元気が出てくることもあれば、また、その逆もある。 たとえば・・・ 10分程行った所(普通の人なら3分位?)に公園があるが、往復の途時、午後3時ごろまでに行くとよちよち歩きから10歳くらいまでの子供たちが遊んでいることが多い。 小さな子供が遊んでいるのを見るのは、それ自体が楽しいが、この公園で遊んでいる子供たちの場合、見ているこちらの方がはらはらするような場面でも、傍にいる若い母親たちが少しも騒がず、平然としているか、むしろ、叱咤激励する勢いだからである。 ああ、これなら自分たちの子供の頃とあまり変わらないなと安心する。
一方、いつも行くコーヒーショップでの当たり外れは大きい。場所が辻堂駅から慶応SFCへ行く大通りに面しているので、今週のように期末試験のシーズンになると、ノートやプリントと睨めっこしている学生を見かけるが、彼らの近くに席が取れたときは、現役時代、職場の近辺や通勤途中の駅のコーヒーショップで時間潰しをしたときの雰囲気で、大変落ち着く。 何よりも、誰も大声を出したり、のべつ幕無しに喋り続けたりする者が居ないのがいい。
ところが、今日のように、折角、学生たちの近くに席が取れたというのに、一人だけ、馬鹿丸出しのおばさんがいて、必要以上に大きな声、それも品のない声で、得々とくだらない話をしているのにぶつかった時はまったく閉口する。 私を含めて周囲に聞かせたくて喋っているのが見え見えである。 連れのおばさんは、低い声で相槌を打つだけだから、おそらく腐れ縁と諦めているのだろう。 こういう手合いはどこにでもいるが、本人にその自覚がないのだから、どうしようもない。 それでも一票が平等でいいのかと言いたくなる。 件の学生が最初からヘッドホンをつけていたので、最初は、' いまどきの学生は・・・' と呆れていたのだが、彼が上を向いて目を瞑り、じっと耐えている様子を見て、ヘッドホンをつけざるを得ない理由が、やっと判った。 いつもなら、30分もすれば、気分も多少良くなり、帰路につけるのだが、今日は、1時間近く、不快音を聞かされたので一向に回復せず、このまま此処にいたらえらいことになると思い、ほうほうの体で引き揚げてきた。 この間、苦痛に耐えながら、こういう手合いを無視するにはどうしたら良いかを、ずっと考えていたが、はたと気がついた。 昔の人は旨いことを言ったものだ。 「燕雀安知鴻鵠之志哉」 えんじゃく いずくんぞ こうこくの こころざしを しらんや 団塊世代のおばさん族よりも、団塊ジュニアの若いお母さんたちのほうが総じてまともである。ゾンビ世代の終焉も近そうだ。
一方、いつも行くコーヒーショップでの当たり外れは大きい。場所が辻堂駅から慶応SFCへ行く大通りに面しているので、今週のように期末試験のシーズンになると、ノートやプリントと睨めっこしている学生を見かけるが、彼らの近くに席が取れたときは、現役時代、職場の近辺や通勤途中の駅のコーヒーショップで時間潰しをしたときの雰囲気で、大変落ち着く。 何よりも、誰も大声を出したり、のべつ幕無しに喋り続けたりする者が居ないのがいい。
ところが、今日のように、折角、学生たちの近くに席が取れたというのに、一人だけ、馬鹿丸出しのおばさんがいて、必要以上に大きな声、それも品のない声で、得々とくだらない話をしているのにぶつかった時はまったく閉口する。 私を含めて周囲に聞かせたくて喋っているのが見え見えである。 連れのおばさんは、低い声で相槌を打つだけだから、おそらく腐れ縁と諦めているのだろう。 こういう手合いはどこにでもいるが、本人にその自覚がないのだから、どうしようもない。 それでも一票が平等でいいのかと言いたくなる。 件の学生が最初からヘッドホンをつけていたので、最初は、' いまどきの学生は・・・' と呆れていたのだが、彼が上を向いて目を瞑り、じっと耐えている様子を見て、ヘッドホンをつけざるを得ない理由が、やっと判った。 いつもなら、30分もすれば、気分も多少良くなり、帰路につけるのだが、今日は、1時間近く、不快音を聞かされたので一向に回復せず、このまま此処にいたらえらいことになると思い、ほうほうの体で引き揚げてきた。 この間、苦痛に耐えながら、こういう手合いを無視するにはどうしたら良いかを、ずっと考えていたが、はたと気がついた。 昔の人は旨いことを言ったものだ。 「燕雀安知鴻鵠之志哉」 えんじゃく いずくんぞ こうこくの こころざしを しらんや 団塊世代のおばさん族よりも、団塊ジュニアの若いお母さんたちのほうが総じてまともである。ゾンビ世代の終焉も近そうだ。
2010年11月27日土曜日
死刑廃止論と軍事忌避論の横行
山岡鉄舟の生き方から見ればどうでもいい些事に属するが、最近、世間が騒ぎすぎるのでどうでもいいことが気になって仕方がない。 一つは、自己矛盾だらけの死刑廃止論の横行であり、もう一つは、これまた自己矛盾に満ちた軍事忌避論者の跋扈である。
断っておくが、私が苛々しているのは、死刑廃止論や軍事忌避論そのものではなく、それらを唱える人たちの覚悟と姿勢の問題である。 一つ一つ具体的に説明したい所だが、体調が許さないので、詳細な理由は後日に譲り、ここでは、結論だけを述べておく。
① 死刑廃止論を唱えることは、そうしたければ、いくら人を殺しても良いと主張することである。
② 軍事忌避論を唱えることは、他国民を助けるためなら、自国民を犠牲にしても構わないと主張することである。
以上は、飽く迄も国家・社会レベルの話であり、個人の信念や宗教的教義の話ではない。 従って、個人的にどういう立場を採ろうともその人の勝手だが、一国の首相や閣僚には許されない。 北朝鮮がどうしたのと騒ぐ前に、米中露いずれかの(或いは3国の)核ミサイルが首都圏めがけて発射されようとしている(或いは発射された)ときにどうするかを考えておけと言いたい。 世界中の元首で、就任前に軍事知識を身につけていないのは、ここ30年来の日本の首相だけだ。 そんな阿呆な文官の言うことを聞く自衛隊でないことを祈るのは私だけか。
流石、中曽根元首相は、時の佐藤総理から、閣僚にしてやるから希望を言えといわれ、防衛庁長官を希望し、着任するや早速、現役自衛官と合宿したという。(日経: 私の履歴書) そうでなければ、ロナルド・レーガンが腹を割る筈がない!
(菅総理も、じつはやっているが、わざと馬鹿を演じているのならまことに見事と言うことになるが!)
断っておくが、私が苛々しているのは、死刑廃止論や軍事忌避論そのものではなく、それらを唱える人たちの覚悟と姿勢の問題である。 一つ一つ具体的に説明したい所だが、体調が許さないので、詳細な理由は後日に譲り、ここでは、結論だけを述べておく。
① 死刑廃止論を唱えることは、そうしたければ、いくら人を殺しても良いと主張することである。
② 軍事忌避論を唱えることは、他国民を助けるためなら、自国民を犠牲にしても構わないと主張することである。
以上は、飽く迄も国家・社会レベルの話であり、個人の信念や宗教的教義の話ではない。 従って、個人的にどういう立場を採ろうともその人の勝手だが、一国の首相や閣僚には許されない。 北朝鮮がどうしたのと騒ぐ前に、米中露いずれかの(或いは3国の)核ミサイルが首都圏めがけて発射されようとしている(或いは発射された)ときにどうするかを考えておけと言いたい。 世界中の元首で、就任前に軍事知識を身につけていないのは、ここ30年来の日本の首相だけだ。 そんな阿呆な文官の言うことを聞く自衛隊でないことを祈るのは私だけか。
流石、中曽根元首相は、時の佐藤総理から、閣僚にしてやるから希望を言えといわれ、防衛庁長官を希望し、着任するや早速、現役自衛官と合宿したという。(日経: 私の履歴書) そうでなければ、ロナルド・レーガンが腹を割る筈がない!
(菅総理も、じつはやっているが、わざと馬鹿を演じているのならまことに見事と言うことになるが!)
2010年11月19日金曜日
急性A型大動脈解離からの生還2周年
今日で急性A型大動脈解離(acute type A aortic dissection)から生還して2周年目を迎える。 発症したのが2年前の今日午前9時ごろだったというから、確かに2年前の今朝、丁度今頃、我が家はパニック状態だったのだろう。 だろうと言うのは、私自身に前後の記憶が全くないからだ。 それは前にも書いた。
この間の妻子の筆舌に尽くしがたい辛苦と看病にについても、2010.2.6 看病=菩薩行 に書いた。 改めて妻が主治医に言ったという 『 ・・・生まれたばかりの子供を育てるつもりで、2年間は覚悟しています・・・ 』 とかいう言葉の重みを実感する今日この頃である。 我ながら未だに可愛げのない嫌味な親父であるが、感謝の気持ちだけは忘れたことはない。
というわけで、先週末から体調の如何にかかわらず、毎日一時間くらいの散歩に出かけることにした。 "体調の如何にかかわらず" と言う以上、これまでとても無理だろうと思っていた状態でも、とにかく支度をして "しゃにむに" 出かけている。 主治医に言わせれば "命に別状のある" 状態ではないそうだが、それでも不安を感ずるのが "鬱病" の "鬱病" たる所以らしい。 "心頭滅却" には程遠い心境だが無理やり強行している。 とにかく、ケーニヒスべルクの Kant を見習って毎日時計のように昼になったらトボトボと散歩に出かけることにして1週間経つが、気候がよい所為か今の所続いている。 当然のことながら、 "飼い犬" と同じで "ご褒美の餌" (はやり言葉で言えばインセンティヴ)が欠かせない。 一つは公園で小さな子供たちの元気な姿を見ることだ。 幸い怖がられることもないので楽しみにしているが、時には誰もいないことがある。 そのため、家を出るとき 500円玉 か 1000円札 を一枚貰っておき、行き先の喫茶店で ホットドッグ などをもぐもぐと30分かけていただくことにしている。 周囲の客が変な顔ををしているかもしれないが、"何かまうものか"、"こっちは病人様だ!"
それにしても、何のためにこうまでして生き延びる必要があるのかと言う疑問は一向に去らない。 因果な性格ではある。
この間の妻子の筆舌に尽くしがたい辛苦と看病にについても、2010.2.6 看病=菩薩行 に書いた。 改めて妻が主治医に言ったという 『 ・・・生まれたばかりの子供を育てるつもりで、2年間は覚悟しています・・・ 』 とかいう言葉の重みを実感する今日この頃である。 我ながら未だに可愛げのない嫌味な親父であるが、感謝の気持ちだけは忘れたことはない。
というわけで、先週末から体調の如何にかかわらず、毎日一時間くらいの散歩に出かけることにした。 "体調の如何にかかわらず" と言う以上、これまでとても無理だろうと思っていた状態でも、とにかく支度をして "しゃにむに" 出かけている。 主治医に言わせれば "命に別状のある" 状態ではないそうだが、それでも不安を感ずるのが "鬱病" の "鬱病" たる所以らしい。 "心頭滅却" には程遠い心境だが無理やり強行している。 とにかく、ケーニヒスべルクの Kant を見習って毎日時計のように昼になったらトボトボと散歩に出かけることにして1週間経つが、気候がよい所為か今の所続いている。 当然のことながら、 "飼い犬" と同じで "ご褒美の餌" (はやり言葉で言えばインセンティヴ)が欠かせない。 一つは公園で小さな子供たちの元気な姿を見ることだ。 幸い怖がられることもないので楽しみにしているが、時には誰もいないことがある。 そのため、家を出るとき 500円玉 か 1000円札 を一枚貰っておき、行き先の喫茶店で ホットドッグ などをもぐもぐと30分かけていただくことにしている。 周囲の客が変な顔ををしているかもしれないが、"何かまうものか"、"こっちは病人様だ!"
それにしても、何のためにこうまでして生き延びる必要があるのかと言う疑問は一向に去らない。 因果な性格ではある。
2010年11月9日火曜日
白人優位は終焉するか?
2010年5月1日・・・喉もと過ぎれば熱さを忘れるのところに以下のように書いたが、オバマ大統領の苦戦振りを見ると、ああ、やはり、の感を強くする。 『因果必然』、 『色即是空』 の立場から見れば、如何でもよいことの範疇に属するが、さしあたり興味津々と言ったところである。
2010年2月5日金曜日 生還の損得勘定 のところに 『300年にわたる白人優位思想の終焉 』 と書いたが、これは飽くまでも白人優位思想の終焉であって、白人優位の終焉 ではない。
優位にあるものがそう簡単に既得権を手放すことはありえない。 それは最近の官僚と政治家の醜い争いを見ても分かることだ。 これなどは蝸牛角上の争いに過ぎないが、これからの100年間は血みどろの人種間抗争が続くはずである。 それをいちばん良く知っているのは恐らく中国の指導者で、彼らは必死になって生き残りの方策を模索しているに違いない。 日本人もそろそろ本気になって、米中どちらの属国になって生き延びるか考えた方が良い。
2010年2月5日金曜日 生還の損得勘定 のところに 『300年にわたる白人優位思想の終焉 』 と書いたが、これは飽くまでも白人優位思想の終焉であって、白人優位の終焉 ではない。
優位にあるものがそう簡単に既得権を手放すことはありえない。 それは最近の官僚と政治家の醜い争いを見ても分かることだ。 これなどは蝸牛角上の争いに過ぎないが、これからの100年間は血みどろの人種間抗争が続くはずである。 それをいちばん良く知っているのは恐らく中国の指導者で、彼らは必死になって生き残りの方策を模索しているに違いない。 日本人もそろそろ本気になって、米中どちらの属国になって生き延びるか考えた方が良い。
2010年11月1日月曜日
2010.11.1 病状の総括・・・不安定な病状
今月の19日朝9時で、発病以来満2周年を迎える。 妻が主治医に言った 「2年間は生まれたばかりの子供を育てるのだと思って覚悟している」 という言葉が改めてずしりと堪える今日この頃である。 この辺で現状を総括しておきたい。
(一寸疲れたので中断する・・・・・)
今年の4月、7月、現在の状態をざっと比較すると・・・
左手の麻痺
4月: タオルを絞れない、常に冷たい、指先の感覚異常
両手が連動しない、肩から首筋がだるい
7月: きつく絞れない、以下同じ
現在: きつく絞ると爪先が剥がれる、以下同じ
右腿の痺れ
4月: 常に軽い痺れ、時々就寝時に疼痛
7月: 常に軽い痺れ、稀に就寝時に疼痛
現在: 同上
散歩、バス、電車で出かける
(△=苦痛を伴う ▲=危険 x=絶対やりたくない)
4月: △、▲、x
7月: ▲、x、x
現在: △、▲、x
電話を受ける、かける、会話する
(▲=動作はできるが用を成さない x=動作もままならず)
4月: x、x、x
7月: ▲、x、x
現在: ▲、▲、x
腰部の皮膚異常
椅子、ベンチ、ソファーでの食事・休憩・行事出席、
(△=10分以上は苦痛 ▲=始めから苦痛 x=絶対座りたくない)
4月: △、▲、x
7月: ▲、x、x
現在: △、△、x
体調不良(動悸、息切れ、むかつき、脱力感)
4月: 隔日程度
7月: 殆ど毎日
現在: 同上
情緒異常(苛立ち、不安、鬱)
4月: 殆ど毎日
7月: 同上
現在: 隔日程度
一年の単位で見れば、徐々に出来ることが増えてきているのは分かるが、全てが中途半端で苦痛を伴う。それ以上にやれないことが見えてきて一向に回復感がない。 医師に相談しても、上手に病気と付き合っていくしかないと言われるので埒があかない。
要するに、個々の症状は、どれをとっても命に別条はないが、毎日が不快で楽しくない。 もっと不愉快なのは、「趣味を持て・・・」 などと尤もらしく言われることだ。 私だって心身ともに不快でなければ、時間つぶしの材料には事欠かない。 ただ、心身の不快を圧してまで、これ以上、長生きしたいと思うほどの材料が見つからないだけだ。
取り敢えずは、父の遺稿 "A Mysterious Episode of Violin" 「バイオリン奇譚」 のWEB公開と 祖父の遺志 「因果必然の科学的モデル化」 の継承を義務だと思って取り掛かっているが、それもそろそろ先が見えてきた。 これ以上、生きていたところで何ほどの材料が見つかるだろうか。 あとは助けてくれた「恩人」たちに感謝するためだけに生きているようなもので、もっと若ければともかく、70才を過ぎてなお未練がましく生きているための積極的理由が見当たらない。 いつ死んでもよいと思う所以である。 これを鬱病と言うのなら、そうでない人々は、いったい何歳まで生きていれば気が済むのだろうか。
(一寸疲れたので中断する・・・・・)
今年の4月、7月、現在の状態をざっと比較すると・・・
左手の麻痺
4月: タオルを絞れない、常に冷たい、指先の感覚異常
両手が連動しない、肩から首筋がだるい
7月: きつく絞れない、以下同じ
現在: きつく絞ると爪先が剥がれる、以下同じ
右腿の痺れ
4月: 常に軽い痺れ、時々就寝時に疼痛
7月: 常に軽い痺れ、稀に就寝時に疼痛
現在: 同上
散歩、バス、電車で出かける
(△=苦痛を伴う ▲=危険 x=絶対やりたくない)
4月: △、▲、x
7月: ▲、x、x
現在: △、▲、x
電話を受ける、かける、会話する
(▲=動作はできるが用を成さない x=動作もままならず)
4月: x、x、x
7月: ▲、x、x
現在: ▲、▲、x
腰部の皮膚異常
椅子、ベンチ、ソファーでの食事・休憩・行事出席、
(△=10分以上は苦痛 ▲=始めから苦痛 x=絶対座りたくない)
4月: △、▲、x
7月: ▲、x、x
現在: △、△、x
体調不良(動悸、息切れ、むかつき、脱力感)
4月: 隔日程度
7月: 殆ど毎日
現在: 同上
情緒異常(苛立ち、不安、鬱)
4月: 殆ど毎日
7月: 同上
現在: 隔日程度
一年の単位で見れば、徐々に出来ることが増えてきているのは分かるが、全てが中途半端で苦痛を伴う。それ以上にやれないことが見えてきて一向に回復感がない。 医師に相談しても、上手に病気と付き合っていくしかないと言われるので埒があかない。
要するに、個々の症状は、どれをとっても命に別条はないが、毎日が不快で楽しくない。 もっと不愉快なのは、「趣味を持て・・・」 などと尤もらしく言われることだ。 私だって心身ともに不快でなければ、時間つぶしの材料には事欠かない。 ただ、心身の不快を圧してまで、これ以上、長生きしたいと思うほどの材料が見つからないだけだ。
取り敢えずは、父の遺稿 "A Mysterious Episode of Violin" 「バイオリン奇譚」 のWEB公開と 祖父の遺志 「因果必然の科学的モデル化」 の継承を義務だと思って取り掛かっているが、それもそろそろ先が見えてきた。 これ以上、生きていたところで何ほどの材料が見つかるだろうか。 あとは助けてくれた「恩人」たちに感謝するためだけに生きているようなもので、もっと若ければともかく、70才を過ぎてなお未練がましく生きているための積極的理由が見当たらない。 いつ死んでもよいと思う所以である。 これを鬱病と言うのなら、そうでない人々は、いったい何歳まで生きていれば気が済むのだろうか。
登録:
投稿 (Atom)
