現代人の認識空間は、言語空間に支配されている。しかもその言語空間自体、特定イデオロギー(閉ざされた言語空間)に支配されてしまった。
本来の認識力には、感覚もあれば直観もある。さらに唯識論によれば、より高次の識が存在するという説(八識説)もある。
低次元の認識空間に住む現代人にこれを納得させる方法は見当たらないし、そもそも本質的に不可能なのかもしれないが、私は存在すると考えている。むしろ存在しないと言い切る人の気が知れない。
私が、禅思想の科学モデル化 (Scientific Modelling of Zen philosophy)の投稿で言わんとしたのは、言語論理という低次元の認識手段でより高次の認識空間の存在を示唆(できれば証明)したかったからである。
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