去る7月20日(日)、ゼミ仲間の幹事役、片山直輝君から同じゼミ仲間の一人、牧野良雄君が急逝したとの連絡があった。以下は、彼からのメールと私からの返信の冒頭である。
着信・・大石先生を偲ぶ会の件で牧野さんに電話したところ奥様より彼が急逝してしまったと聞かされ驚愕しました。・・自ら健康優良児と称していた牧野良雄氏が亡くなるとは
ただただ驚いています。残念です。・・
返信・・無念です。また一人、心友が世を去り、改めて人生とは何ぞやと考えこむばかりです。大石先生の後を追ったとでも思わないと気持ちが治まりません。・・
日曜日に牧野宅を弔問することになったが、片山君から、君は無理するな何か言いたいことがあればメールをくれ、プリントアウトして霊前に捧げると言ってきたので、「牧野君とは、同じ昭和14年生まれで同郷の誼も有り、格別の思いがありますが、俄かには言葉が出てきません。思いついたら、追ってメールを差し上げます。」と返信したままボーっとしていた。しかし、23日の明け方、彼の夢を見たので、こうしては居られないと汗だくになっていつもの喫茶店へ出かけ、拙い一文を綴って来た。
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惜別、心友牧野良雄君
豪放磊落な君と何事にも消極的な私とは、本来、反りが合わない筈なのに、初対面のときから不思議と親近感を覚えていました。後に、君が高崎の出だと知って、上州人が東京で抱く違和感を裏返しにした同郷意識の所為だと解ったとき、啄木や白秋が故郷に抱いた感情が理解できるような気がしたものです。当時は未だ、「ふるさと」は、目に見える実在の世界で、東京は異郷そのものでした。
いつか、君の生家を訪ねてみたいと思っていましたが、叶わぬ願いとなってしまいました。君との不思議な縁をどう言ったらよいか、相応しい言葉が浮かびません。
思いつくままに拙い三首を惜別の辞に代えさせてください。
あかぎやま 長き裾野に 遠霞む 西に高崎 東に桐生
おおとねの 清き流れを 育くみし 馬手の烏と 弓手の渡良瀬
同年の ゼミナリストの 声高し 上州訛の 懐かしきかな
なお、ブログ 「50年前の今日・・・60年代駒場・本郷の一期一会」
に妙高高原池の平寮での大石ゼミ合宿日記を載せましたので、ゼミ生共通の思い出として添付します。
http://50yearsagotoday.blogspot.jp/2014/07/196281624.html
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