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2010年9月2日木曜日

もう一人の畏友・・・石川嘉延君

駒場のクラスメートの中でも私が一目おいていた男の一人に前静岡県知事の石川嘉延君がいる。 1960年当時、一学年250万人くらいいた中で最初から東大を目指すほどの男なら誰でもそれなりの自負は持っていたし、合格者2000人の一人に選ばれれば、良くも悪くもエリート意識の何がしかはもっていて不思議は無い。 しかし、彼にはそんな気配が全く感じられなかったし、まさに “これぞ東大生” といった好感の持てる奴だった。

彼とは特に親しかったわけではなく、会えば気軽に言葉を交わす程度の付き合いだったが、4年生になった頃本郷のキャンパスで公務員試験の話しがでたときに、どうする心算か聞いたところ、外交官試験とどっちにするかまだ決めていないと言っていたように思う。 高校時代から教会の宣教師に付いて英会話を習っていたそうだから、外交官が候補の一つだったとして何の不思議も無い。 彼のような男なら何になっても国のためになるだろうと思ったのを覚えている。

そこで、下手な歌を一首・・・

役人か 外交官かと 言いし友 夢を託した 静岡空港

富士通総研時代、富士通本社から子会社の英国ICLに出向していた同僚 忽那恭一君の依頼で、ブダペストに出張した際、スイスのルツェルンに寄り道した帰路、パリのオルリー空港で図らずも、静岡県議員の一団とファーストクラスで同席するというハプニングがあり、隣席の県庁職員から聞いた話を思い出す。 つまり、石川知事の命令で静岡県の国際化を進めるため、田舎者の県議たちにヨーロッパ体験をさせるための “静岡県遣欧文化視察団” のお供を仰せつかったと言うのである。 “文化視察団”であるから当然行き先も優雅で、ギリシャのパルテノン、ミラノのスカラ座、パリのオペラ座・・・・等々で、先方も文化大臣以下いとも丁重な応対で、まさに夢心地だったようである。 なるほど、石川君ならやりそうなことだと合点がいった次第であった。

断っておくが、私がファーストクラスに乗ったのは、後にも先にもこのときだけである。 その頃、富士通は苦境にあり、部長以下はすべてエコノミーだったが、そのときのブダペスト往復は、忽那君の計らいで、特別にビジネスクラスをとってもらったくらいである。 それが、どうしてファーストクラスに乗れたのかといえば、多分、たまたま県庁職員の隣席が一つ空いていたので、スチュワーデスが気を利かせて話の合いそうなビジネスクラスの客をあてがったのだろうと想像する。 日航ではいつもそうしていたのか聞いてみたことが無いのでわからない。

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