この問題については、理論物理のように第一発見者としての名誉が最優先される分野と化学や生理学のように応用技術の開発と権利化が優先されるものとでは、発表の時期や表現方法がおのずと違ってくるという常識を持たない人は発言の資格がないと言っておきたい。
前者では、寸秒を競う先陣争いになり、一刻も早く追試による認知を得るために、最大限詳細なデータを公開するのが一般であるが、後者では、出願後15年で切れる独占使用権を長期に渡って保持するためにさまざまな工夫(特許戦略)が必要となる。例えば、優先権を確保するため他の研究者に先んじて基本特許(原理のみ)出願しておき、具体的応用例は、事業化の時期にあわせて小出しに出願して行くなどであり、再現実験が可能になるような詳細データはぎりぎりのタイミングまで出さないか、最後まで出さないことも珍しくない。
いずれにしても研究者の世界で認知されるまでには何年もかかるのが普通であり、最後まで無視されて終わることも少なくない。それは、誰も再現できなかった場合もあるし、誰も興味を示さず、従って再現実験をする者がいなかった場合もある。逆に、何十年か後にノーベル賞を受賞することも有るのだから、今回のように、研究活動の実態を知らない野次馬が恰も人民裁判で断罪しようとするのは、狂気の沙汰である。
学会誌に載る論文の90%以上は、研究者としての、知識とアリバイ(業績)を残すだけの価値しかないような内容で、本人と査読者(通常2人)にしか読まれずに終わるのが実態である。言うなれば、研究を業とする人達の業務報告若しくは学習報告であり、そういう論文ほど内容を棚上げして体裁や引用リストの数に拘る傾向がある。
本件に関しては、中部大学の武田邦彦教授が極めて妥当な解説をしています。
https://www.youtube.com/watch?v=YNsNNatMn6U
