宇野正美氏の「正論」を封殺する「陰謀論」のレッテル
陰謀でない謀略はなく、謀略でない戦略はない。
戦略の基本は敵を欺くことであり、敵を欺くには先ず味方を持ってせよというのが古来からの鉄則である。
これらの鉄則に、意図や目的の善悪は関係がない。
したがって陰謀を忌避する者に戦略が存在しないのは理の当然です。
その重症患者が平和呆け日本人です。
陰謀の存在を否定する人たちは、xx戦略などという言葉を使う資格がありません。
釈迦でさえ、人を見て法を説け(嘘も方便)と言ったのを忘れたのでしょうか。
為政者は人格者である以上に優れた陰謀家でなければならず、その動機とシナリオの善し悪しを見抜くには選挙民もまた謀略アレルギーを払拭しなければなりません。
為政者が選挙民を欺くのは常に悪だと主張する人は、選挙民が常に正しいという前提に立っているからでしょうが、事実はむしろ逆です。
フランスで、オランド大統領を先頭に全土で数百万人が参加した「私はシャルリ!」と言う常軌を逸したデモの動機は、エマニュエル・トッド氏の著書『シャルリとは誰か』に拠れば、人口の4割を占める偽善的中産階級の特権と安逸を正当化するためのスケープゴート探しにあったそうです。デモのスローガンに『ムスリムの聖者を冒涜する自由』はあっても『平等』がなかったのが論より証拠だと言うわけです。デモ参加者の分布がEU創設のためのマーストリヒト条約支持層と殆ど重なっていると言う指摘も示唆的です。
大統領は支持層の意思が民意だと思っていた(思いたかった?)に過ぎません。
もし、彼にに中産階級のエゴイズムの代弁者であることをやめさせたいなら、あらゆる術策を使ってこの層を騙すことを許容しなければならないでしょう。
為政者に馬鹿正直であれと要求することが常に正しいとは限らない所以です。
2016年4月18日月曜日
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