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2011年7月21日木曜日

サッカープレーヤーは首相より偉い?

ここ数年の間にこの国の価値観は一段とゾンビ化して来たようだ。 2011年4月21日木曜日の日記に "福島県知事は首相より偉い?" と疑問を呈したが、今朝の日経に載っていた週刊誌の広告に、どこかの記者が女子サッカーのキャプテンに "菅首相に何かアドバイスがありますか?" と言語道断の質問をし、にべもなく "有りません" と突っ返されたとある。当たり前だ、何処の国にたかがスポーツマンの分際で一国の首相に生意気なアドバイスなどする失礼な輩がいるものか。 これがイチローだったら何と答えたか想像がつくと言うものだ。
澤とかいうその選手も流石に呆れ返ったに違いない。 もし彼女がそんな不遜かつ愚劣な質問に対して得々と喋り捲るような女性だったら、佐々木監督や他のメンバーの我慢もとっくに限界を超えていただろう。 要するにこの国ではこんな愚か若しくは卑劣な質問に答えさせて世論を誘導し政治家を扱下ろすことがマスコミ(自称正義の味方)の本業として罷り通っているのだ。

ついでにもう少し堅い話をしておきたい。
オバマ大統領のワルシャワ演説を賞賛し、菅首相の脱原発発言を非難するのは全く欺瞞そのものである。 どちらも実現性のないことに変わりはないが、オバマ大統領は、自分の生きている限り絶対やらないと明言している(よく読めば判る)のに、菅首相は、せめて原発だけでもやめたいと本気で言っている(級友の江田君から菅首相の人柄は聞いて知っている)のだから、日頃から平和主義を唱えているマスコミとしては実現性があろうがなかろうが諸手を挙げて賛同し画期的英断として賞賛して然るべきだ。

オバマ大統領の "核無き世界" に実現性がないのは、核ミサイル以上に強力な兵器が今の所ない以上、当然のことだが、菅首相の "脱原発" が実現性を持たないとすれば、それは核保有国の圧力か、さもなければそれに迎合する国内勢力の妨害である。 マスコミが隠したいのは、この "国内勢力の意図" であろう。

要するにこの国のマスコミは、"反権力" を装いながら、常に権力(国籍を問わず)に迎合し、或いは便乗していると考えればよい。 しかも、江戸時代の "知らしむべからず寄らしむべし" や戦前の "華族制度" に僅かながら残っていた "noblesse oblige" のかけらもない。 我国史上最悪の無責任職業集団である。

新聞・TV の奇っ怪なニュースを見聞きするたびに、こんな馬鹿馬鹿しいことを書くのに疲労困憊していてはとても身が持たないので、暫く「縁なき衆生は度し難し」、「我関せず焉」 を決め込み、 『梁塵秘抄』の世界で気を休めることにする。

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。
・・・

2011年7月12日火曜日

今年初めての蝉の抜け殻

私が小学校就学前に尤も夢中だったのは蝉取りだったが、就学後は、それに、ラバウル帰りの叔父に教えられた沢蟹取りが加わった。 という訳でここのところ毎朝続けている散歩の折には、緑道や歩道の木という木に目を配っているが、梅雨も明けたというのに一向に目に付かない。

ところが公園で地面を見るとたくさん穴が開いている。 あたりで頻りに雀が鳴いているのを聞いて、ハハーンと合点が入った。 多分、梅雨明けと

同時に蝉自体は穴から這い出してくるのだが、片端から雀その他の小鳥の餌になってしまうのに違いない。 鳴き声が聞こえ出すのが一週間くらい遅れるのはきっとその所為だろう。

子供の頃は自宅の庭木や校庭の楠の根元を掘って所謂穴蝉を捕まえるのが楽しみだったが、今の子供でこういう遊びを遣っている子を見たことがない。 聞くところによると彼のアリストテレスの残した書物に 『蝉は羽化する直前が一番美味だ』 とあるそうだが、何も "不思議発見" を引き合いに出さなくとも十分納得できる話である。

ところが、今朝6時前に家を出る時、門口のタイルの上に抜け殻が落ちていたので、辺りを見回すと、油蝉が一匹まだ朝日の当たらない道路の

上で無防備に羽を干しているではないか! 始めは、てっきり脱皮に失敗して死んでいるのかと思ったが、杖の先でそっと押してみたら、超低空飛行でゆっくり羽ばたき、辛うじてお向かいさんの垣根まで飛んでいッた。 三十分程して散歩から戻った時、まだそのままの状態で留まっていたので、急いで家からデジカメを持ち出して撮ったのがこの写真である。

蝉については、2010年2月19日の日記に "油蝉の鳴き声とモーツアルトのトルコ行進曲の一部が似ている!" と書いて実際の音を比較して聞いていただくつもりだと約束したものの未だに果たしていない。 そのうち公園で録音したものと娘に頼んでさわりの部分を弾いてもらって比較したいと思ってはいるが・・・。

2011年7月6日水曜日

大東亜戦争敗北後流行ったものランキング

似非(=空想的・偽善的)平和主義
似非(=空想的・偽善的)平等主義
似非(=空想的・偽善的)自由主義


ひっくるめて
卑怯者の平和と弱者の脅迫・・・要するに無責任なエゴイストの支配である。

真犯人はもはや誰だかわからないが、彼らが自覚していようがいまいが、最大の受益者がマスコミであることは明らかだ。 新聞、TV はそのつもりで見ていれば、実に良くわかる。
その意味では、彼らの主張する透明性というお題目にも矛盾はない。
これが、敗戦の後遺症・・ゾンビ化社会の実態である。

既に、回復の兆しは見え始めているが、私が生きているうちに完治する日は来ないだろう。
オバマ大統領も、"私が生きているうちに核廃絶は達成されないだろう" とか演説したそうだが、これで本気でないことを宣言していなかったら、今頃は生きていないだろう。 まず第一声で軍産複合体とアングロユダヤの一部選民主義者を安心させるところなどは、妻の反対で大統領選に出馬しなかったパウエル将軍とは形こそ違え、同じ危機感と恐怖を共有していたに違いない。

2011年7月5日火曜日

東北は日本から独立する気か?

4月21日の日記に "福島県知事は首相より偉い?" と疑問を呈したが、今日の日経朝刊を見て本当にそうかもしれないと思った。

松本龍復興相に発破をかけられた岩手県知事の方が褒められ、わざわざ出かけて行った国家の大臣がけなされるばかりか、客であり、応援の手を差し伸べるに吝かでないといっている大臣を忙しい振り(大臣より忙しい県知事などいるはずが無い!)をして非礼(私はそう思うが今のゾンビ世代はそう思わないらしい)にも待たせた挙句、後で新聞屋に言いたい放題の悪口を言う宮城県知事が非難されないところを見ると、もはや東北各県は日本から独立するつもりだとしか思えない。

その覚悟があるならそれはそれで良いが、そうだとしたら、日本国に助けを求めるような甘ったれた姿勢は捨てるべきだ。

それにしても日経新聞(に限らずマスコミ一般)のゾンビ支配も此処まで来たかと思うとぞっとする。
こうした気狂い沙汰を煽っている卑怯な真の敵は一体何処の誰だろうか。

それとも大東亜戦争敗北後の連合国による洗脳教育のほとぼりが放射能のように未だにくすぶっているのだろうか。
たかが私個人の大動脈置換手術の後遺症でさえ、これだけ長く続くのだから、国家敗戦の後遺症ともなれば、3世代以上は覚悟するしかなさそうだ。

2011年7月2日土曜日

散歩で気晴らしの筈が・・・「我関せず焉」

前にも書いたが、リハビリ中の苦しい散歩で、例外なく嬉しくなるのは幼児が公園で遊んでいるのを見ることである。 逆に例外なく気力を萎えさせ帰路の体力も覚束なくさせるのは、コーヒーショップで身の程知らずの厚かましい中高年女性の長広舌に曝された時である。 その苦痛は放射能の内部被爆も斯くやと思われる程である。 不運にもこういう気に食わない輩に出会ったとき、心身を平静に保つにはどうすればよいか、これまでに2つの呪文を思いついたことは既に述べた。

一つは、2010年12月9日の日記に書いた
「燕雀安知鴻鵠之志哉」(えんじゃく いずくんぞ こうこくの こころざしを しらんや)
もう一つは、2011年6月3日の日記に書いた
「縁なき衆生は度し難し」
であるが、どうも相手を意識しすぎているようで、腹の虫が治まってくれない。

そこで今度こそと思いついたのがこれである。
「我関せず焉」

これでどうだといいたい所だが、如何せん不快感は治まっても気力は湧いてこない。
やはり、一番元気が出てくるのは公園で駆け回る幼児の声をきくことだ。

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。
・・・『梁塵秘抄